昭和40年〜 新しい時代へ

 昭和40年 1月に中央教育審議会が「後期中等教育の拡充整備について」のを答申し、各人の個性・能力・進路・環境に適合する教育の多様化を提案。これの別記として〈期待される人間像〉の中間草案が発表されました。
「…戦後の日本人の目は世界に開かれたという。しかし…とかく一方に偏しがち」という状況下で、「…世界における日本人としての確固たる自覚をもった人間になること…」を目指した内容でしたが、ベトナム戦争が徐々に拡大、激化の様相を見せ、5年後の日米安全保障条約改定が視界に入る状況下で、反動的とか懐古的とか批判を浴びせられました。

 昭和40年版「新生活標語」の8日付に


  かっこ      しんねん  けんきょ   はんせい            がんめい   おちい   
 確固たる信念も謙虚な反省がなければ頑迷に陥る

 とありますが、時流に乗って行われる言論には信念も謙虚さも見られないのが通常のようです。

 この年の3月、明治時代の優れた建築物が姿を消していくのを惜しみ、その保存を図ろうと、東宮御所や千鳥ヶ淵霊園の設計で知られる谷口吉郎博士と名古屋鉄道の土川元夫氏が協力して、愛知県犬山市に博物館明治村が開村しました。

 故徳川夢声さん、森繁久弥さんに続いて今は俳優の小沢昭一さんが3代目村長を務めていますが、近代建築の保存に明治村は最初の一歩を記し、その後も大きな役割を果たしています。


  ひと        ほんもの     およ        つたな      じぶん   も    あじ   だ
 人まねは本物には及ばない拙くとも自分の持ち味を出そう

 27日付。江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れて建てられた洋館は、西洋の模倣から始まりつつも、新しい日本を築こうとする意欲に満ちています。
 明治村の目的に〈明治の新しい精神に立脚した社会教育の振興〉がうたわれています。そして、司馬遼太郎氏が産経新聞に「坂の上の雲」の連載を始めるのは、昭和43年のことになります。

 カナダの国旗が現在の赤・白・赤の縦縞で、真ん中の白の部分にメープルの葉をあしらったデザインに変わったのは2月のことでした。それまでは全体が赤地、左上にユニオンジャック、右下にイングランド、スコットランド、アイルランド、フランスを表す紋章とカナダを表すメープルからなる楯が描かれていました。メープルだけを中央に配置したのは「もうみんなカナダ人だ」という意図があってのことでしょうか。

 この翌々年(1967年)、モントリオール万国博覧会の際カナダを訪問したフランスのドゴール大統領は、フランス系住民が大多数を占め、独立を願う人が多いケベック州のモントリオール市庁舎のバルコニーから演説して、「自由ケベック万歳」と叫びました。
 たいりつ   あらそ    じぶん   つごう        かんが        お     
 対立や争いは自分の都合だけを考えるから起こる

 19日付。「内政干渉」と猛反発を喰らいましたが、あの立派な鼻より高い自尊心が、風刺漫画家たちの格好の餌食となりました。

 3月、「高安犬物語」などで知られた作家・戸川幸夫氏が西表島から持ち帰った頭骨と毛皮が、これまで知られていない新種のネコらしいと発表。翌々年、オスとメスの個体が捕獲され、国立科学博物館動物部長今泉吉典氏より新種として発表されました。

 このネコはイリオモテヤマネコと命名されました。これほどの大きさのほ乳類の新種が発見されたのは20世紀に入ってなかったことでした。

 沖縄本島から南西へ470キロ、沖縄が日本に返還される前の西表島への渡航は、今では考えられないほど時間と手間がかかったことでしょう。1日付の標語に、

  きょう  いちにち   せいか    ちい             せいか    うえ   あ  す 
 今日一日の成果は小さくともその成果の上に明日がある

 とありますが、動物への深い関心と愛情が新種発見に結びついたに違いありません。

 3月、ニコラエ・チャウシェスクがルーマニア共産党一等書記に就任しています。

 その後、1967年に国家評議会議長(国家元首)。1974年自ら“大統領職”をつくって初代大統領に就任。この間、妻子や一族を要職に就かせて権力を掌握し、恐怖政治を敷くことになります。そしてベルリンの壁崩壊後、国民により処刑されました。

 周りをイエスマンで固めたため、国内の本当の情報が入ってこず、国民がどんなに窮乏しているか、どれほど不満を抱えているか彼は知らなかった、と伝えられています。

  はんせい    く                   じぶん   しょうみ   し 
 反省とは悔やむことではなく自分の正味を知ることである

 16日付。自分の権力だけを頼む独裁者に「反省」を求めても無理なことでしょうが、気に入らないことは聞かないため、真実を伝えてもらえず、結果的に墓穴を掘ってしまうことになるとは、絶対権力が持つ危うさには驚かせられます。

 この年公開された映画といえば黒澤明監督の「赤ひげ」。加山雄三演じる医師「保本登」や二木てるみの「おとよ」の名前は覚えていても、赤ひげの本名は思い出せないという人がけっこうあります。「赤ひげ」は三船敏郎が黒沢映画に出た最後の作品でした。

 加山雄三の「君といつまでも」がヒットしたのもこの年です。「『幸せだなぁ』演技にも開眼できたし…」というところでしょうか。

 昭和24年の京都大学の湯川秀樹教授以来となるノーベル物理学賞を、東京大学の朝永振一郎教授が受賞したのもこの年です。10月に受賞決定が伝えられた時の新聞の見出しの大きかったこと!

 この年の1月に亡くなったサー・ウインストン・チャーチルは、著書『第二次世界大戦回顧録』などを評価され、1953年にノーベル文学賞を受賞しています。

 
へいわ     たたか   と                     そうご      しんらい   うえ     きず
 
平和は闘い取るものではない相互の信頼の上に築かれる

 30日付のこの標語の意味を、彼はだれより深く理解したのではないでしょうか。

 3月、ナット・キング・コールが48歳で死去。 6月、大賀ハスで知られる大賀一郎博士。 7月、日本推理作家協会の初代理事長を務めた江戸川乱歩。 「春琴抄」「細雪」の文豪・谷崎潤一郎。 8月、「海ゆかば」や「一番星みつけた」の作曲者・信時潔。 9月、アルバート・シュバイツァー博士がアフリカのランバレネで。 そして12月、「からたちの花」「赤とんぼ」「この道」の作曲家・山田耕筰が亡くなっています。

 ナッキンコールはガンを患っていましたが、亡くなる前に沢山のレコーディングをした、とその当時ラジオのDJが言っていました。遺る家族のために…と。
 10年後の1975年にグラミー賞最優秀新人賞をとったナタリー・コールはキング・コールの愛娘。

  こううん    ぐうぜん       こ        ひと    し       ところ   どりょく     つ  
 幸運は偶然には来ない人の知らぬ処に努力が積まれている

 2日付。グラミー賞は偉大なる父から受け継いだ声と歌唱力と、彼女の人知れぬ努力によって獲得されたのでしょう。そして、その後のトップスターの地位も。

 ナタリーとキングのデュオで、星くずがかがやく庭で「トゥルー ラブ」や「トゥー ヤング」を聞けたら最高なんだけどなぁ。きっと「アン フォゲッタブル」(忘れられなくなる)。 

 昭和41年  2月4日、千歳発羽田行き全日空60便(B727型機)が羽田空港に進入中、空港の東南東約12kmの東京湾に墜落。乗員乗客133名が死亡。公式には事故原因は不明。一機単独の事故としては、当時世界最悪の惨事。

 1か月後の3月4日、バンクーバー行きカナダ太平洋航空402便(DC8型機)が、羽田空港に進入中墜落。濃霧で視界が悪く、滑走路から約850mの進入灯に右主脚が接触、滑走路に激突し炎上。乗員乗客64名が死亡、乗客8名救出。

 翌3月5日、香港経由ロンドン行きBOAC 911便(B707型機)が、羽田空港離陸15分後、富士山上空を飛行中に乱気流に巻き込まれ、空中分解。山麓の太郎坊付近に墜落し乗員乗客124名全員が死亡。通常コースを取らなかったのは、乗客に富士山を見せるためか、時間短縮のためと推測。

 続いて起きた大事故に、日本の空には悪魔がいるのかと海外のメディアが伝えました。

ようじん     しょうしん                    つ         こと   おこた

用心とは小心になることではない尽くすべき事を怠らぬことである


 昭和41年版「新生活標語」7日付。事故後、厳重な調査と綿密な対策が練られたことでしょう。しかしこれらの事故の19年後の昭和60年、あの大惨事が起きています。

 1月、スペインのパロマレス沖で米戦略空軍のB52爆撃機が空中給油中に給油機と接触、墜落。機体と共に水爆が海底に沈みました。1968年グリーンランドのチューレ米空軍基地沖に墜落したB52にも核兵器が積まれていたと言われています。
 水爆を積んだ爆撃機が常に空中警戒態勢にあり、これが抑止力の一つになっているとされていましたが、平和維持のためと言われても何とも物騒なことです。

たにん          はら  た           じぶん    し      
他人がしたら腹を立てることを自分は知らずにやっている

 
27日付。知らずに、どころか「大義名分」を立ててやっていることなのですが、今も空中警戒は続けているのでしょうか。

 2月。調布飛行場で人力飛行機リネット号が初飛行。高度1m、飛行距離10m。日本大学の木村秀政教授と教え子たちが3年の製作期間を経て成功。「初めてのことに感動を持って向き合いなさい。感動のない者に進歩はない」と学生を指導した木村教授。

りそう     たか も        てぢか   こと  おろそ   
理想は高く持っても手近な事を疎かにしてはならぬ

 この時の感動と自信を支えに技術者として様々な分野に巣立っていった学生たち。

 中国で「文化大革命」が起きたのがこの年。“大躍進政策”に失敗して実権失った毛沢東が、“実権派”を追い落とそうとした権力闘争とされます。その先兵となった紅衛兵が登場し、赤い冊子を手に“造反有理”を叫び、“実権派”とされた多くの人に苛烈な糾弾を加えました。その様子は山崎豊子著「大地の子」に活写されています。

 なに        う                       みらい          のこ
何もかも失ったとしてもまだ未来だけは残っている

 13日付。糾弾され追放された人にはその未来さえないように思えたことでしょう。
 当時の紅衛兵たちは今、心に何を抱えているのでしょう。

 4月、NHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」が始まりました。この後、朝の連続テレビ小説は主婦の時計代わりになっていきました。
 ところで樫山文枝さん、ここのところテレビで見かけませんが舞台でご活躍ですか。澄んでよく通るあなたの声は舞台でよく映えますものね。

 6月、ザ・ビートルズが来日し、武道館で公演。滞日5日間のあの熱狂!。この年は世界各地でベトナム反戦運動が高まりを見せました。狂熱の季節の始まりです。

 同じ6月、「祝日法」が改正され、9月15日敬老の日、10月10日体育の日が定められました。そして12月には2月11日を建国記念の日とすることが公布され、翌昭和42年、初めて建国記念の日を迎え、紀元節復活をめぐり祝賀と反対の声が渦巻きました。

おや     せんぞ   とうと                 えんちょう     おのれ  たいせつ 
親や先祖を尊ぶことはその延長たる己を大切にすることである

 29日付。日本の国は私たちの遠いご先祖が始められました。

 その後国民の祝日は日曜日にくっつけて実施されることになり、祝日の意味が半ば失われましたが、こんなことでいいんでしょうか。

 5月、小泉信三博士没。皇太子殿下と美智子様のご結婚を強力にバックアップ。

 12月、19代式守伊之助没。江戸っ子「ひげの伊之助」勝負判定へのあの猛抗議。

 そして、ウォルト・ディズニーも12月に亡くなっています。
「ダディは、あのウォルト・ディズニーなの?」
「そうだよ」
「じゃ、サインをして!」 そんな会話があったと聞きました。

おや    せいかつ   ととの         こども           ただ     そだ 
親の生活が整わねば子供だけが正しく育つことはない

 ミッキーの生みの親は、本当にすてきな父親だったんですね。5日付の言葉です。