昭和48年 露見 1

 昭和48年 1月27日、パリでベトナム和平協定が締結。昭和39(1964)年、トンキン湾の公海上で駆逐艦が魚雷艇に攻撃されたとして、その基地を艦載機により攻撃したトンキン湾事件の後、南ベトナムに大量に派遣されたアメリカ軍は3月末に完全撤退しました。

 1963年、ゴ・ジン・ジェム政権の仏教徒への抑圧に抗議してサイゴンの街頭で僧侶が焼身自殺したのを、政府高官夫人が「バーベキュー」と言うなど、見識も公正さも欠いて極めて不安定になっていた南ベトナム政府を、東南アジアの共産化を防ぐという名分を立てて支援したアメリカでしたが、ベトナムにもアメリカにも多大な被害を出して、何も得ることなく戦争は終結。

 その後もアメリカは、何年かごとに世界のどこかで武力行使をしています。

  あらそ     ことがら                         あらそ  こころ   も                     お 
 争いは事柄によるものでなく争う心を持っているから起こる

  昭和48年版「新生活標語」15日付の言葉です。
 アメリカが関わる武力紛争には、この標語が訴えている真実だけでは説明しきれない事情があるのではないでしょうか。「産軍複合体」と呼ばれる強大な勢力の意向によって、「紛争」が起き、「平和への努力」がとられているのではないかと思えてなりません。

 10月、第4次中東戦争が勃発。イスラエルはまたもエジプトとシリアを退けました。
 この戦いの後、石油輸出国機構(OPEC)加盟の6カ国は、原油の価格の21%引き上げと原油生産の削減、さらにイスラエルを支援する国に禁輸することを決定。そして昭和49年の1月には原油価格が2倍に引き上げられました。
 このあおりを受けて国内でトイレットペーパーに始まる消費物資の異常な買いだめ騒動が起きました。
 

  ぶっしつ    とぼ                こころ   まず         ほう          
 物質の乏しさよりも心の貧しさの方がみじめである

 19日付の標語。生産量は十分ある…、とメーカーが声をからして訴えても、砂糖や洗剤や醤油が店頭から消えていきました。「なくなったら困る」という焦りから事実を誤認し、自分も周りの人も「窮乏」に陥れてしまったのです。

 4月過ぎから、小笠原諸島の西之島近くで次々に噴煙、噴石が上がり新島が出来つつありましたが、これら3つの島が一つにつながった12月、気象庁はこの新しい島を「西之島新島」と命名。新島は翌年6月に以前からあった旧島とつながり、面積316,000㎡ (新島の部分は 238,000㎡ )標高25㍍の西之島になりました。
 にんげん   しぜん     いちぶ          い            しぜんはかい      にんげん   はめつ        
 人間は自然の一部として生きている自然破壊は人間の破滅となる

 31日付。噴石が堆積して出来た新しい島は、今は流れ着いたり鳥が運んだりした種子によって緑に覆われていることでしょう。大自然の生命力を思わずにはいられません。

 5月、米上院でウォーターゲート事件の公聴会が始まりました。前年6月、ニクソンの大統領再選を画策するグループが米民主党が入っているビルへ盗聴しようと侵入した事件が発覚。大統領2期目に入っていたニクソンは、昭和49年8月に辞任しました。
 1日付に、



  かんきょう  さゆう            こころ   じゆう           にんげん  とうと   
 環境に左右されない心の自由こそが人間の尊さである

とありますが、大統領の座の魅力ゆえか、選挙を有利に闘おうと相手陣営を盗聴しようとして、尊厳を自ら毀損したのはまことに残念なことです。
 また、9日付に、
 
   じぶん    わ    まま  こころ    か             こころ   じゆう          え
 自分の我が侭な心に克てなければ心の自由はあり得ない


 とありますが、自由の国アメリカでも、真の自由は我欲を去ってこそ得られるもののようです。
 ニクソンの副大統領だったS・アグニューも州知事時代の収賄が明らかになって10月に辞任。代わって副大統領に就いたG・R・フォードが次の大統領になりました。フォードは副大統領も大統領も選挙を経ずに就任した唯一の人で、最初に日本を訪れた現職のアメリカ大統領でもあります。

 12月、エサキダイオードで知られる江崎玲於奈博士がノーベル物理学賞を受賞。
 博士は当時アメリカに在住しIBMの研究所に勤めていましたが、かつて東京通信工業株式会社(現ソニー)に勤務していた時、半導体のPN接合におけるトンネル効果を発見したことが評価されての受賞でした。
 エサキダイオードの名前は知られていますが、実際に見たことのある人はほとんどないようです。それは製品としてあまり使われていないから…らしい!?
 しかし、半導体内のトンネル効果の研究は、電子状態密度などの研究を開拓し…(と言われてもよく分かりませんが)、半導体の生産に大きく役立ったそうです。
 不純物を取り除くことに目がいっている時に、不純物をより混入させて負性抵抗を見いだしたということで、逆転の発想として有名です。

  たん      こううん                       こううん   どりょく    なか      う 
 単なる幸運というものはない幸運は努力の中から生まれる

 25日付。
 普通のやり方を山ほど積み上げ、逆のやり方もこれでもかというほど努力した末に、発見されたのではないでしょうか。

昭和49年 露見 2

 昭和49年 文藝春秋11月号に「田中角栄研究、その人脈と金脈」「寂しき越山会の女王」などが掲載されました。「金脈問題」が政界を揺るがし田中総理は辞任し、刑事告発されることになります。

  もの   かね   つか   ひと   きりょう    おう                          はっき 
 物や金は使う人の器量に応じてそのはたらきを発揮する

 昭和49年版「新生活標語」30日付にこの言葉がありますが、金の力に動かされる人が多くなって、世の中は品位を落としていきました。
 そういえば最近、人の心も金で買えるとうそぶいた若者がありましたが、買う人も買われる人も「金の亡者」の眷属に思えてなりません。

 王貞治選手が2年連続の3冠王に輝いた10月、「永久に不滅です」の名セリフを残して長嶋茂雄選手がフィールドを去りました。
 

  たにん     おもわく   き                 はたら      しんか    はっき

 他人の思惑を気にしていては働きの真価は発揮できない

 12日付。いつも思いっきりバットを振り、ボールに飛びつき、全力疾走したスーパーヒーロー。真価を発揮し尽くしました。
 スーパーヒーローと言えば、この年こんな人が亡くなっています。
 5月、「キャラバン」「A列車で行こう」のデューク・エリントン。
7月、花菱アチャコ。
    「点子ちゃんとアントン」などのエーリッヒ・ケストナー。
 8月、いわさきちひろさん。
    スピリット オブ セントルイス号のチャールズ・リンドバーグ。
今も胸の奥に温かい記憶を持ち続けている人があることでしょう。

 7月、東京湾の人工島に「船の科学館」がオープン。
 昭和53年にこの博物館の「庭」で開催された宇宙科学博覧会は壮観でした。月へアポロを運んだサターンをはじめレッドストーンやアトラスやタイタンなど、アメリカの宇宙開発を担ってきたロケットがずらりと陳列されていて、目を丸くした人も多かったはず。
 大物、笹川良一氏の関係施設ということでなんとなく近付きにくいものを感じていましたが、「船の科学館」もなかなかの施設でした。

   いっぽうてき   かんが                               ものごと      りょうめん   
 一方的な考えにこだわってはならない物事には両面がある

 7日付。笹川さんでなくては、これだけのものを日本に招致できなかったのではないでしょうか。サターンロケット1段目の巨大な外殻が印象的でした。

 2月、当時「反体制作家」と呼ばれたアレクサンドル・ソルジェニーツィンがソ連の市民権を剥奪され国外に追放されました。
 
  はんせい        ひと      ひと   けってん   へいき     い   
 反省のない人ほど人の欠点を平気で言う

 2日付。
 信仰を土台に深い愛国心を持った作家に批判され、彼を祖国から追い出した政権は、体制の立て直しができず、やがて崩壊していくことになります。
 偉大なる愛国者は大歓迎されてアメリカで亡命生活を送りましたが、20年後にロシアに帰国し、プーチン大統領とはうまくいっているとか。
 そして彼の息子イグナートは2006-7年のシーズンからフィラデルフィア室内管弦楽団の音楽監督を務めるそうです。フィラデルフィア管弦楽団と言えばユージン・オーマンデイ(ちょつと古いかな)を思い出すけど、「…室内管弦楽団」は別のオケ?