昭和46年 山を越えた後

昭和46年 3月31日、作家の深田久弥が山梨県韮崎市の北に位置する茅ケ岳を登山中に急逝しています。
 平成4年〜5年、NHKBS.2で放送された「日本百名山」は、昭和39年に新潮社から発刊された深田久弥著「日本百名山」に記載されている100の山を紹介しました。番組は好評を呼び、かつて山をやっていた人など中高年層に登山ブームを呼びました。
 没後20年以上を経た深田久弥が、生前以上に名を知られることになったのは、山を心底から愛し、自らの足で踏破したからこそでしょう。
 
  ちしき     たいけん          かくにん                          じぶん     じつりょく 
 知識は体験により確認してこそはじめて自分の実力となる

 昭和46年版「新生活標語」10日付にこの言葉がありますが、100の山を魅力的に紹介する言葉は、山を登る歓びが珠玉となって結んだものに違いありません。
 山と言えばこの年の7月、今井通子さんがグランドジョラス北壁登頂に成功。マッターホルン北壁、アイガー北壁に続くアルプス3大北壁登頂で、女性として世界初のことでした。
 
 同じ7月、マクドナルドの1号店が三越銀座店に開店しています。
 

  しん    れいぎ    ひと    ひと    むす   うつく        
 真の礼儀は人と人を結ぶ美しいかすがいとなる

 1日付にこの言葉があります。当時、マニュアル化された接客の言葉になじめないものを感じた人が多かったようで、漫才のネタにされたりしました。
 でも…、私は3か月に一度くらいはビッグマックを食べたい、コークを飲みたいと思うことがあります。そうそう、ファスト・フードと言えば、日清製粉がカップヌードルを発売したのはこの年の9月でした。
 
 その9月、11日にソビエト社会主義連邦共和国の元首相ニキータ・フルシチョフが亡くなり、13日には中華人民共和国の副主席だった林彪がソ連に向かう途中に墜落死しています。彼等が政権の中枢にあった時の栄光を思うと、その死はあまりに寂しいものでした。
 
 あらそ             む  り    か    と                          うしな   とき        
 争いによって無理に勝ち取ったものはいつかは失う時がくる

 15日付。両国とも事の真相がなかなか伝わらないシステムにあったので、彼等が失脚に至ったドキュメントが明らかになったのはずっと後のことでした。



昭和47年 沖縄復帰

 昭和47年 9月、北京の人民大会堂で日中共同声明が調印され、日本は中華人民共和国と国交を樹立。その一方で中華民国との外交関係は破棄されました。
 大東亜戦争の後「以徳報怨」(徳をもって怨みに報ず)と言って、軍人や在留日本人の帰還に最大限の便宜を図ってくれた国民党の蒋介石総統は存命中で、経済的なつながりも深かったのに、国際情勢の推移には抗しがたく切り捨てるように乗り換えました。


  あいて      たちば          かんが        ひと    わ     
 相手の立場でものを考えねば人と和していくことはできない

 昭和47年版「新生活標語」8日付にこの言葉がありますが、政治大国、軍事大国、そして経済的にも有数の国になっていく中で、徐々に印象が違ってきた新しいお隣さんとなったかの国に、「相手の立場でものを考える」という大人(たいじん)の気風は残っていると信じたい。
 
 
 10月、フィリピンのルバング島に潜伏していた小野田寛郎元少尉の生存が確認されました。
 小野田さんはその後昭和49年3月に説得に応じて投降し、日本に帰国しました。
 フィリピンのマルコス大統領は小野田少尉を接見する時、上官の命令を守り通した優秀な軍人として軍刀を携えることを許し、武士道精神と騎士道精神の出会いと伝えられる。小野田少尉の敬礼を見て、元中尉だった人が「おいしい敬礼をするヤツ」と評していました。
 小野田さんはその後ブラジルに渡って農園を経営して成功。日本の青少年の心が乱れていることを知ると、「自然は最高の教師である」を信条に生きてきた自分のこれまでを思い、日本で彼等の健全な育成のために尽くそうと「小野田自然塾」を開きました。
 
   しぜん    おんけい   かんしゃ             おのれ  せいめい   とうと
 自然の恩恵に感謝することは己の生命を尊ぶことになる


 21日付の標語です。終戦のことをいつ知ったのか、任務解除の命令を受けられないまま、残置諜者として4半世紀も熱帯の山野に雌伏していた小野田さん。そして、平和な世界にあっても国の将来のために尽くしておられる、鋼のように強靱で絹のように柔らかく温かい精神には感服するばかりです。 
 
 10月1日から、運転免許取得1年以内のドライバーが運転するとき「初心者マーク」(わかばマーク)を自動車に付けることが義務化。若い運転者の中にはカッコ悪いといやがる人もありました。

  じぶん    じっしつ いじょう    み                     む り    こころづか     おお 
 自分を実質以上に見せようとすると無理な心遣いが多くなる

 26日付の標語にありますが、ハンドルよりブレーキの方が安全運転には重要。アクセルをふかすばかりというような生き方をしていると、事故だけでなく自滅に追い込まれることになります。
 
 その後、平成9年には75歳以上の運転者がつけることができる高齢者マーク(もみじマーク) が制定されました。使っている間に色褪せてしまった色合いから「枯れ葉マーク」と憎まれ口を聞く輩がいましたが、「これは許し難い」と目くじらを立てる人がいないのは、さすがに酸いも甘いもかみ分けた人生の達人、と高齢運転者の株が上がりました。
 ちなみに、このマークを表示した自動車は、若葉マークと同様、そのクルマに対する幅寄せや割り込みが禁止され、違反すると5万円以下の罰金が科せられ、基本点数1点が減点されます。
 
 
「ウチのかみさんがね」と言いつつ犯人を追いつめていく「刑事コロンボ」の放送が始まったのはこの年の12月。コロンボの吹き替えは故小池朝男さん。あの声が好きだった。


  い    わけ            じょうず           しんじつ     か 
 言い訳はいくら上手にしても真実を変えるすべではない

 2日付。担当がコロンボ警部補でなかったら真実を変えられてしまっていたかもしれない、と思える事件ばかりでしたね。
「あ、それからもうひとつ」コロンボ刑事の奥さんを見たという情報があるんです。あのぼろぼろのプジョーの助手席に乗っていたというんですが、あなた信じますぅ? 
 
 2月、連合赤軍が浅間山荘に人質を取って立てこもる。9日間の攻防の末逮捕された犯人の自供により、榛名山のアジトにこもっている間に12人を惨殺したことが明らかになる。
「総括」と呼ばれたつるし上げとリンチで、仲間に殺された者たち。彼等は思想、信条に基づいて政治活動をしていたつもりだろうが、その生と死はあまりに虚しい…。

 

  にんげん   そんげん   ぶっしつ   かんきょう   しはい            こころ   じゆうせい

 人間の尊厳は物質や環境に支配されない心の自由性にある

31日付。この標語が罪を認めようとしなかった犯人の心に届くべくもない…。
 
 
「沖縄返還交渉に密約がある」と、資料を片手に政府に迫った野党の議員。その資料は新聞記者からもらったもので、「切り札」となる証拠を最初からかざしてみせる議員の作戦のなさ。そして記者は外務省の担当者と「情を通じ」て機密文書を手に入れたとして逮捕される。
 国家を担う者の背信行為を、男女問題に矮小化してすり替えて逃れた当局の手法は、心ある人を怒らせ、慨嘆させた。
 国会での追及の拙劣さ、記事取得の経緯の低劣さは覆うべくもないが、政府当局の卑劣さにはそれに余りあるものを感じずにはいられなかった。

   じぶん    あやま    すなお    みと     ひと    ゆうき       ひと    
 自分の過ちを素直に認める人は勇気ある人である

 18日付。この時、首都中心部にある各組織で過ちを素直に認めた人があっただろうか。沖縄復帰という慶事に塗り込められた大きなシミだった。