昭和44年〜 月世界へ

 昭和44年 11月21日、ワシントンで会談していた佐藤栄作首相とR・ニクソン米大統領が共同声明で、1972年に沖縄を日本に返還することを発表。
 「核抜き、本土並み」で、とされていましたが、その真偽については色々な見方があります。領土の占領は戦勝国の敗戦国に対する正当な行動と認められていますが、それが平時の交渉で返還されるのは史上初めてのことでした。
 我が国から米国への繊維輸出の問題や国際情勢などと勘案されたとは言え、平和的に返還されることになりましたが、その後日本は領土問題について考え方が甘くなってしまったのではないでしょうか。

 おも    き        で き                              なや   
 思い切ったら出来ることをやらずにおるから悩みとなる

 昭和44年版「新生活標語」17日付。態度を鮮明にして思い切ってやることは、理不尽な行いによって争いに引き込まれないためにも大事なことです。

 この年は日本や欧米の多くの大学で起きていた紛争が激しさを一段と増しました。日本では医学部研修医の待遇改善とか授業料値上げ反対とか、学内の自治とか民主化とか色々な事を理由に激しい闘争が行われました。また、沖縄返還交渉や日米安全保障条約の改定にまつわる動きのすべてに激しい反対闘争が繰り広げられました。


  こころ  かた  き      こと              かなら  じつげん     きかい  
 心に堅く決めた事はいつかは必ず実現する機会がくる

 27日付。よりよい大学を、よりよい社会をと願ったこれらの活動によって、研修医制度は改められ、学園の運営が改まった所もあります。しかし、その行動は彼等が信じているほどには世の中に支持されなかったのではないでしょうか。
 それは、相手の考えを全く聞かず、自分たちの要求を暴力的に突きつける彼等の姿に、かつて言論の自由を封じられた時代の幻影を見たからかもしれません。

 はな  あ          たが     あいて    い         き   あ        
 話し合いとはお互いが相手の言うことを聞き合うことである

 と、この年の6日付の標語にあります。
 この標語で思い出すのは「フーテンの寅」こと車寅次郎。寅さんは相手の言葉をいいように解釈して「騒動」を巻き起こしながらも、観客をしんみりした気分にさせました。
 前年(昭和38年)10月に始まったテレビドラマ「男はつらいよ」がこの年の3月に終了。最後に主人公寅さんが死ぬ、と聞いたファンから反対の声が上がり、行方不明ということに変更されました。
 このドラマの映画化を山田洋次監督が提案。松竹で映画版「男はつらいよ」を製作し、8月に公開されました。以後「男はつらいよ」シリーズは平成7年まで48作が製作され、お盆と正月の映画館を賑わしました。
 寅さんは、庶民の正義というか「けじめ」にうるさいところがありましたよね。
 この年の3日付に次の標語があります。

  じんかく    びょうどう    たちば    さ  い    みと             よ    なか   みだ 
 人格は平等でも立場の差異は認めなければ世の中が乱れる

 今年(平成17年)8月には、渥美清さんの10年忌を迎えます。

 7月20日午後4時17分40秒、打ち上げから約103時間の宇宙飛行を経て、アポロ宇宙船の月着陸船イーグルが「静かの海」に着陸。テレビを通して世界中の何億人もの人が見守る中、月面に初めて降り立ったN・アームストロング船長は「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進だ」と述べました。


   もくひょう たっせい               ほうほう             ぬ    きがい      たいせつ
 目標達成のためには方法よりもやり抜く気概が大切である


 7日付。やり抜く気概にあふれた大勢の優れた人たちが、色々な技術を精緻に組み立てて成し遂げた偉業でした。

昭和45年 9月28日、エジプトのガマル・アブドゥンナセル大統領が死去。
 自由将校団の指導者の一人として1952年7月クーデターを起こして王制を廃止。さらに1954年大統領に就任。1956年にはスエズ運河の国有化を宣言。スエズ紛争(第2次中東戦争)後、米ソ対立という国際情勢も手伝ってスエズ運河国有化承認を勝ち取りました。
 なせばなるスエズ運河の国有化なせるはエジプト大統領(詠み人知ってる)


  だれ     たよ         こころ  じぶん   よわ 
 誰かに頼ろうとする心が自分を弱いものにしている

 昭和45年版「新生活標語」の9日付にこの言葉があります。
 やがて第3世界のリーダーの一人となるナセルの不羈の心には、エジプトの民衆の誇りを取り戻すためにとスエズ運河の国有化を決意した時も、英仏の強力な軍事力に対する恐れなどはなかったのでしょう。

3月31日、日航機「よど」号を9人の赤軍派がハイジャック。赤軍派は北朝鮮に入り、その後数々の拉致事件に関わったとされています。彼等の問答無用の理不尽な行動は何を目的としたものなのか、彼等自身納得できているのでしょうか。

  はな  あ   き        もの     へいわ   けんせつ  かた  しかく
 話し合う気のない者には平和も建設も語る資格はない


 23日付。自分たちだけに通じる「理論」の中に埋没しているとしか見えないのですが。

 7月23日、昭和18年に柱島泊地で謎の大爆発を起こして沈没した戦艦「陸奥」の砲塔が引き上げられました。口径40センチの主砲を擁し、「長門」と共に日本海軍の主力艦として開戦を迎えましたが、実戦での活躍はほとんどありませんでした。
 軍艦のことを思うとき、どうしても吉田満著「戦艦大和ノ最期」を思う。
「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ… 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ、私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ、敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ、俺タチハソノ先導ニナルノダ…」陣没者各位に敬礼。
 「私的な潔癖や徳義にこだわって」とありますが、それが失われてあさましい世になりはてた、とさえ見える今の日本を、臼淵大尉はじめガンルームの方々はなんと見ることでしょう。


             すなお   みと       がんこ      こうじょう  はば

 あやまりを素直に認めない頑固さが向上を阻んでいる

 22日付。戦艦陸奥の主砲の一つが、数年前まで東大阪市の鉄工所に展示されていました。どんな経緯であそこにあったのか、またどうして姿を消したのか、その後どこへ行ったのか。今はその巨大な残像だけが残っています。

 よその会社のことですが、早川電機工業(株)がシャープ(株)に社名を変更したのがこの年の1月1日。今のような芯の繰り出し装置のシャープペンシルは日本人の発明で、しかもそれは大正14年(1923)のことで、その人が興した会社が「シャープ」だと知ったのは、ワープロ「書院」を使いこなすのに四苦八苦している時でした。


  じんせい    よろこ      しごと     とお       じ こ     ひょうげん      
 人生の喜びは仕事を通して自己を表現するところにある


 早川徳次さんというのがその人で、東京生まれで関東大震災の後大阪に来て、ラジヲを作って大きな会社にされたようですが、私どもと同じ区にあるシャープのビルがその本社だと知ったのも10年くらい前のことでした。1