昭和34年〜 ゆたかな暮らしへの助走

 昭和34年 1月、前年は氷が厚くて接岸できず越冬を諦めた南極観測隊でしたが、この年は昭和基地の近くまで砕氷船「宗谷」が進入できました。そして、前年1か月分の食料と共に南極に残された樺太犬15頭のうち、稚内生まれのタロとジロの2頭が生存していることが分かりました。2頭ともその年の越冬隊に加わりましたが、ジロは翌年南極で死亡、タロは昭和36年に帰国し大歓迎を受けました。

 1月1日、キューバにカストロ政権が誕生。その後アメリカを訪問して不興を買ったり、理想に燃えて農地改革を行ってサトウキビ農場を国有化したりするなどして、アメリカと対立することになります。 

                 こと                       しそん
 どんなによい事をしていてもあせったら仕損じてしまう

  7日付にこの言葉がありますが、国の立て直しを願う切なる気持ちのために性急な政策に走ったようで、その後の推移を見ると残念な気がします。

 また、チベットのダライ・ラマが中国によって国を追われインドに亡命したのはこの年の3月のことでした。

「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」が発刊されたのはこの年のことです。これら漫画週刊誌はその後、話題作を次々に連載して、少年ばかりか大学生や社会人まで読者に取り込んでいくことになります。


  こううん            きづ      とき       じっこう   ひと
 幸運のチャンスは気付いた時すぐに実行する人がつかむ

 これは3日付の標語ですが、時代の推移を読んで月刊から週刊に、そして娯楽性や話題性を高めて、読者の心をつかんだようです。

 4月10日、皇太子殿下と美智子様の結婚の儀が皇居で行われました。ご結婚を機に広く普及したテレビによって国民はそのご様子を目にしました。

 そして、この年は「神武景気」を上回る好況で「岩戸景気」と言われました。様々な技術が開発され産業界の様子も消費生活も新しい段階に入っていきました。

 こころ             おの      せいかつ  ゆた       てんかい       
 心のゆたかさは自ずから生活の豊かさに展開していく

 と19日付の標語にありますが、一方で三井三池炭坑で争議が始まったり、水俣病の原因は工場廃液の垂れ流しにあると分かって騒動が起きたりしました。そして日米安保条約に対する反対運動が激しさを増したりしました。

 9月26日、台風15号が襲来、四国・近畿・中部・東海・関東・東北と広い地域に被害をもたらしました。ことに愛知、岐阜、三重の3県は台風の上陸と満潮が重なったり、木曽川や長良川が氾濫して、死者・不明者5.000人余、負傷者38.000人余と明治時代以降最大の被害となりました。15号は伊勢湾台風と命名されました。

 アフリカ大陸のオルドバイ峡谷でアウストラロピテクスの化石が発掘されたのはこの年の7月です。彼女は300万年前に直立して歩行していた猿人で、その後「ルーシー」と名付けられました。

  せんぞ   とうと  たいせつ               しそん    さか     もと
 先祖を尊び大切にすることは子孫が栄える元である

 31日付けの標語ですが、私たちホモサピエンス(賢明な人という意味)に至るまで、人類は長い長い旅と進化を続けてきました。

 ソ連のルナ3号が月の裏側を撮影した写真が発表されたのはこの年の10月のことでした。人類は地球上からは見えない所を初めて見ました。

 この年はニクソン米副大統領がモスクワを訪れ(7月)たり、ソ連のフルシチョフ首相がアメリカを訪問(9月)してキャンプデービッドでアイゼンハワー大統領と会談したり、国連総会で全面軍縮を提案したり、雪解けムードが漂いました。しかしソ連と中国の関係はこの年を境に冷えていき、中国はデタントと呼ばれる米ソ緊張緩和に傾いたソ連を修正主義的であると非難し、ソ連は中国を教条主義と言い、社会主義を奉じる国同士が離反していきます。

 ひと   ゆる  こころ  あたた    かてい  へいわ   しゃかい        だ
 人を許す心が 温かい家庭 平和な社会をつくり出す

 と23日付にありますが、親しい間柄にも対立の種はあるのであり、親しい者同士こそ許し合い受け入れあう心が必要であることを思います。

 この年は「レコード大賞」が始まった年でもあります。第一回の受賞曲は、永六輔作詞、中村八大作曲の「黒い花びら」無頼派の歌手、水原弘が歌いました。歌は大ヒットしましたが「レコード大賞」自体はまだそれほど知られていませんでした。

 
昭和35年 は日米安全保障条約改定の年でした。その是非をめぐって賛否が分かれ、左翼の人たちは猛烈に反対運動を繰り広げました。
 中でも6月15日に全学連等によって行われたデモは、国会構内侵入を巡って警官隊とデモ隊が激しくぶつかり合い、東大生の樺美智子さんが亡くなりました。
 賛成派も反対派も国の安泰と世界の平和のためという目的があってのことだったのでしょうが、賛否のぶつかり合いの中で尊い命が失われたことは、痛恨事というほかありません。

  しん   へいわ    ひと  そんちょう     こころ  なか     う
  真の平和は人を尊重する心の中から生まれてくる

 昭和35年版「新生活標語」の26日付ですが、鋭い対立の中では、みんなの幸せも、国の安泰も、世界の平和も忘れられていたのかもしれません。

 安保条約はその4日後に成立し、岸信介内閣は翌7月に総辞職しました。池田勇人氏が新首班となって「所得倍増」の旗印を掲げ、その後、日本はアメリカの防衛力の傘の下で経済的な繁栄を遂げていきます。

 そして10月、浅沼稲次郎社会党委員長が日比谷公園の立ち会い演説会の壇上で右翼の少年に刺殺されるという、議会制民主主義も言論の自由も踏みにじる事件も起きています。

 今は人種差別につながるとして許されないでしょうが、ダッコちゃんブームが起きたのはこの年。ホッピング(31年)フラフープ(33年)などの遊具がはやった後、腕にビニールの人形をしがみつかせて得意気な女性が町中にあふれました。
 げんざい  せいかつ  なか  よろこ    み    だ    しあ            はじ
 現在の生活の中に喜びを見い出せ幸せはそこから始まる

 と、1日付の標語にありますが、もう少し深遠な意味で訴えていることは言うまでもありません。

 サハラ砂漠でフランスが原爆実験を行ったのは2月のことでした。アメリカ、ソビエト、イギリスに続くもので、この後も中国、インド、パキスタンと核兵器は拡散していきます。そしてアメリカは潜水艦からポラリスミサイルの水中発射に成功。どの国も安全と平和を守るためと称していますが、核戦争による人類の終末までの残り時間を示す[核の時計]は進んでいくばかり。
  ひと   おも とお                        ひと   おも  どお   
 人の思う通りにはなりたくないが人を思い通りにはしたいのである
これが人間の性(さが)でしょうか、12日付の標語です。

 そのアメリカで11月、ジョン・F・ケネディが大統領選挙で勝ち、第35代大統領に就任することになりました。翌昭和36年(1961年)年2月の就任演説で行った、「国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問おうではないか」という清新なスピーチは、新しい時代の到来を予期させました。

              よろこ            あた                     しん   よろこ
  もらった喜びよりも与えることにこそ真の喜びがある

 と、15日付にありますが、国のために何ができるかという問いかけに、世界中の若い世代が自己改革を促された気分となりました。

 2月23日、皇太子ご夫妻(今上陛下)に第一子が誕生、浩宮徳仁親王殿下と名付けられました。昨年のご成婚に次いでの慶事に国中が祝賀ムードにわきました。

 5月24日早朝、日本の太平洋側地域を大津波が襲いました。22日チリ南部で起きたマグニチュード9.5という観測史上最大の地震によって引き起こされたもので、広い太平洋を渡ってきた津波で亡くなった人は三陸沿岸を中心に139人、被災家屋は46.00戸余りに達する大きな災害となりました。

 この大災害で何もかも、家族さえも失った人が大勢出ましたが、災害を乗り越えて再び生活を取り戻すのは並大抵の苦労ではなかったことでしょう。9日付けに

  なに  も             ひと     きょう         ひ    じぶん  
 何も持たぬという人でも今日という日は自分のものである

 とありますが、被災者は耐え難い悲しみや苦難にくじけることなく、日々心を新たにして復興へ立ち向かっていかれたことでしょう。

 9月、オリンピックローマ大会開催。体操競技で日本男子チームが初優勝、小野喬選手は鉄棒と跳馬で、相原信行選手は床運動で金メダルを取りました。小野選手は個人総合ではソ連のシャハリン選手に及ばず惜しくも銀メダルでした。この大会のハイライトは最終日のマラソン。「はだしのアベベ」、エチオピアのアベベ・ビキラ選手が2時間15分17秒の世界最高記録で優勝しました。

 この年、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」が封切られ、アラン・ドロンが陰のある二枚目として大人気を博しました。富豪の友人を殺して財産を奪おうとする貧しい青年トム。その計画は成功したかに見えたが…。繁栄への道を歩み始めた日本で、トムの破滅は彼一人のものではないと感じた人が大勢あったのかも知れません。

     かね    もの   こころ  うご            ひと      こころ     じゆう         え
 お金や物に心を動かされる人には心の自由はあり得ない

と、5日付けの標語にあります。

 この年のプロ野球日本シリーズは大洋ホエールズと大毎オリオンズの間で争われ、三原脩監督が率いる大洋が一敗もすることなく4勝0敗でチャンピオンとなりました。

 この年の暮れ、哲学者和辻哲郎が亡くなっています。著書「風土」で日本と世界を見る目を開かれ、「古寺巡礼」で奈良、飛鳥の仏像の美にあこがれた人は多いはず。